300年の矜持と1500年のDNA ~北陸新幹線福井延伸について~

全員野球で経験値を上げている段階 

 計画から実に半世紀。とうとう福井県に新幹線がやってくる。県内では「100年に1度の機会」と、様々な開発が進み、全国、とりわけ関東エリアに向けてのプロモーションが盛んに行なわれている。
そもそも福井は「アピール下手」と自嘲的に評価しているが、これまでも外部から聞こえる声も事実そうだった。そうした街だから、現在行なっているプロモーションが届いているのかどうかも正直わからない。「やれることは全部やる」。この精神で今、手探り状態で福井はプロモーションを続けている。決してそれは悪いことではない。プロモーションという経験値を、遅ればせながら県民全員で積み上げている段階なのだし、こうした「100年に1度の機会」がなければ、その経験値を積むこともできなかっただろうし。まさに全員野球の体でプロモーションという言葉の中で奔走している。


 私自身もそうしたプロモーションを見たり実施したりしている中で、果たして大切なものとは何だろうと考えることはある。2016年に金沢が開業したとき、金沢は大きな盛り上がりを見せた。1年でブームは終わると言われていた中。実に5年以上もその盛り上がりは継続している。それは何故かというと、街ぐるみで観光というジャンルに対して取り組み続けてきた経験値が、非常に長くあるからだ。

300年の矜持

 かつて取材したときにこのような話を聞いた。江戸時代。加賀藩は外様の地位にいた。翻って福井藩は親藩。徳川の血を引く松平家が治める地だった。親藩の福井藩は優遇され、外様の加賀藩は冷遇されていた。物産を江戸に持参しても「外様が何をしに来た」、そんな時代だったという。一人で行ってもいなされて終わりならば、全員でまとまって行こうじゃないか、そういう機運が高まったという。どうすれば売れるか、どうすれば認めてくれるか、そしてどうしたら来てくれるか、知恵を絞り、一点突破「武家文化」というフィールドで街を作っている。


 金沢の人は「小京都」と言われることに抵抗感を持つという。京都は公家文化、金沢は武家文化。似て非なるもの。一つにしてもらっては困る、というのだ。それはシビックプライドと言ってもいいだろう。金沢市だけでまちづくりの条例が50もあるのはその表れだ。江戸時代から醸成され続けてきた、実に300年の矜持なのである。継続は力なりを、まさに体現しているといえよう。

1500年のDNA

 その間、福井は何をしていたか。ひたすら殖産に努めていたのである。繊維、めがね、和紙、漆器、刃物。モノを作ることに傾注していった。和紙、漆器にしてみれば1500年の歴史を持つ。その製法を今も受け継ぎ、作り続けている街なんて他にあるだろうか。福井は純粋にモノづくりが好きな街なのである。そこに観光の「か」の字も入ってはこない。おもてなしをすることも、足を運んでもらうことも考えたことがないのだ。1500年続く職人気質の街は、モノに向き合い、外に目を向けることもしてこなかった。アピール下手は今に始まったことではないし、県民のDNAがそうなっているのだ。


 アピール下手と、自分たちを卑下することもない。自分たちが生きてきた今まで通りのことをすることが、福井における観光の在り方だと思う。上記のように、歴史的にも福井には観光で訪れる人が少ない。観光で訪れた人に会うと珍しいのだから、その歓待度合いは大きい。多くの人が「福井の人は優しい」と口にするのは、「あまり知られていないこの街によく来たね」という思いがあるのだ。

旅のあり方は変わっていく

 ある人が言っていた。元号が変わるごとに観光の在り方も変わる、と。昭和は観光という言葉通り、SEEING(見る)だった。平成に代わりDOING(体験する)が主流を占めていった。では令和は? その人曰くBEING(ある)だと。これからの話は観光とは旅と同義だと考えた上で書いていく。旅とは思い出そのものだ。昭和時代、カメラをぶら下げ記念撮影をし、当地の美味に舌鼓を打ち、お土産を買い求め、家に帰って現像した写真をアルバムにしまい、お土産を眺めては旅の思い出を巡らせる。


 今も変わりない部分はあると思うが、一つ違うかなと思うのが、SNSの発達で即時的に拡散され、見た人は同じ風景を撮ろうと訪れ、また拡散されていく、ということだ。“映える”写真を撮りたいだけなのか、それ以上もそれ以下もなく旅は終わる。そこに大事なものが抜けている。“人”だ。人が介在して旅は思い出に変わる。人の介在しない旅は、スマホの中で完結してしまっている。

BEINGの、次世代の旅を目指す

 次の時代、BEINGの旅がこの先の観光事業において大事なファクターになっていくのではないかと考えている。思い出になる旅、それは人に出会う旅。その場所の居心地の良さに、また訪れたくなる旅。居心地の良さとは、その土地の人たちに“認められること”。認められることは、「ここにいていいんだ」と思わせてくれること。つまり、旅人を受け入れる“器”を持っている街になること。「人は人に会いに旅に出る」のだ。ハコモノ行政だった時代は観光地を“作る”ことを前提としていた。これからの時代はコト行政になっていったほうがいいのでは、と思う。

 コトを成して街の人の”器”を大きくしていく。目に見えないことに税金を使うことに抵抗はあるかもしれないが、実は長い目で見れば大きな財産になる。福井はこれまで日の当たらない場所にあったが、否応なく日が当たる場所に引き出された。これまで全国が行なってきた観光事業を踏襲するのではなく、これまで通りの「福井人の優しさ」を前面に打ち出し、新しいBEINGの観光を目指していくのが、継続して訪れてくれる街になっていくのではないだろうか。

執筆者プロフィール

宮田耕輔

観光ジャーナリスト
日本国際観光映像祭日本部門審査員
株式会社ウララコミュニケーションズ編集長

1971年福井県福井市生まれ福井市育ち。福井のまちづくりをするために1991年山梨県都留文科大学入学。その後同大学院にて民俗学を学ぶ。1998年から1年間、ワーキングホリデーでニュージーランドに滞在。1999年より同社入社し、地域情報誌『月刊ウララ』の編集に携わり、2006年より現職。 仕事の傍ら、俳優の津田寛治氏初監督作品『カタラズのまちで』のプロデューサーを務め、2015年より開催している『福井駅前短編映画祭』立ち上げに関わり、現在実行委員長を務める。『福井駅前短編映画祭』のスピンオフ企画としてスタートした「ふくいムービーハッカソン」でプロデューサーを務めるほか、福井県出身の俳優兼監督・片山享氏の長編映画『いっちょらい』、また福井県の事業である長編映画『福井のおと(仮)』のプロデューサーも務める。 さらに仕事の傍ら、福井駅前にある新栄商店街にてボクサーパンツ専門店『ラーナニーニャ』、美術家MAGOの専属販売ギャラリー『MAGO GALLERY FUKUI』、コミュニティスペース兼ECスペース『FLISMO SPACE』のオーナーも務めている。

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