ヨロン島の観光映像

鹿児島県最南端の島、そしてかつては日本の最南端だった島、それが与論島です。この島の歴史を見ることは観光学の観点からとても重要です。与論島(よろんじま)は「ヨロン島(よろんとう)」とも表記されます。正式には与論島ですが、かつて爆発的な観光振興があった頃(1970年代)に観光の島、として「ヨロン島」という表記が使われるようになり、今でも観光協会などは「ヨロン島」と表記します。

今回の投稿では、そんなヨロン島を観光映像から理解したいと思います。ヨロン島は数多くの秀逸な観光映像を生み出している島です。そして、第1回日本国際観光映像祭の日本部門のグランプリ作品はヨロン島の映像でした。まずはこの映像を紹介したいと思います。

Yoron 8K

ヨロン島の観光振興を目指して、2018年に一つの観光映像が公開されました。この映像には二つの大きな意味があります。一つは永川優樹さんという才能に8K映像という当時の規格外の映像を制作したこと。これによって今も色褪せることのない素晴らしい映像としてプロモーションに貢献していること。そしてもう一つはデジタルマーケティングの発想が込められたことです。これは後述します。

ヨロン島 8K

映像を見ていただけたでしょうか。これは永川さんの手法でもあるのですが、この映像が視聴者に届けるものは、“その場にいる”という感覚です。もちろんドローンの映像は観光客が見れる景色ではない、しかし、そのイメージがあって人は観光地を歩くのです。いつか書きたいと思いますが「旅行者は知っている場所を訪れます」。強烈なイメージがあってこそ、人はその場所をわかるんです。

永川優樹さん

2018年は永川さんが特に多くの映像を世に出された年でした。釧路市や鹿児島、長崎、そしてヨロン島。木川はそれらの映像に驚き、この「ヨロン島 8K」を応募してほしくて、偶然、研究室にいた与論島出身の学生に観光協会に連絡してもらったりしてました。永川さんは授業でも取り上げたりしていたのですが、私の知る限り、もともとは広告代理店に所属し、その後、世界を旅してその映像を配信する人でした。その頃のシリーズ(World Cruise)の映像も美しいものでした。

この映像を見ていただけるとわかると思いますが、この映像が私たちに届けてくれるのは、“その場所にいる”感覚です。この映像は2010年のものですが、まだまだ映像機材にジンバルなどは登場してなかった頃。その撮影技術に驚くと同時に、今の全くブレのない“ヌルヌルとした映像”よりもリアリティのある映像ではないか、と思います。

そして、Yoronの映像の前から、鹿児島県の一連の映像で彼の名前はどんどんと広がっていきます。私の記憶の中では、40分ぐらいある観光映像?とかもあったように思うのですが、ちょっと今、探してもみつからなかったので、見つかったらまたあげます。その中でも観光映像大賞などでも評価されたのが、Kagoshima Enegetic Japanです。

この一連の永川さんの映像を見ると、Yoron 8Kがより味わい深いものとなるでしょう。その場にいるように感じる感覚。その一つの集大成のような映像がYoron 8Kです。

先ほど(6月11日現在)、Yoron 8Kの再生回数を確認しました。1000万回を超えています。ただこれには広告費用もかかっています。この映像では「サーロインの法則」という予算の3割を映像制作費、6割をデジタルマーケティング費用、1割を効果検証に使うという、当時一般化しつつあった手法が用いられています。デジタルマーケティング費用は言ってしまえば、Youtube広告費。与論島の当初の数百万回再生回数はYoutubeを中心とした広告による再生です。しかし、その広告費で得た再生回数の数倍以上の回数が見られています。これだけの数があると目に見えて観光客が増えたなぁと現地でも感じたそうです。

Yoron 8Kは第1回日本国際観光映像祭でGrand Prixとなりました。そして、私は海外の映像祭へと紹介し、一部では受賞しました。ただ、その時に海外の映像関係者から出てくる、このスタイルは古い、という言葉。彼らに言わせると風景だけで描く観光映像は古いとのこと。登場人物がいて、ストーリーがあって、映像のタイトルには地名が入っていない、これがヨーロッパで言う新しい観光映像。ちょっと待ってよ。この映像が絵で語るストーリーテリングが見えないの?やはり国によって感覚に違いが出てくる。それを深く認識した時でした。

だからこそ、日本国際観光映像祭は意義があるのです。ヨーロッパ的な感覚で描く観光映像ではなく、アジアの観光映像のあり方。もちろん、それがヨーロッパでも認められるように情報発信をしていく。それが日本国際観光映像祭です。

与論島の歴史

さて、ヨロン島の話に戻りましょう。ここでは与論島、といった方が良いかも知れません。Yoron 8Kの受賞後、関係者の方々が関西に来られたついでに和歌山大学観光学部にご挨拶に来られました。その時は2019年の4月頃。その当時与論島は第32回「星空の街・あおぞらの街」を2020年に開催予定で、当時の学部長 尾久土正己先生と担当者が意気投合。そこから与論町と和歌山大学観光学部の関係がスタートしました。

残念ながら「星空の街・あおぞらの街」は新型コロナウイルスの蔓延によって中止となりましたが、さまざまな事業を一緒に行ってきました。尾久土先生が中心となった「星空観光」。加藤先生が中心となった「持続可能な観光研究」。そして、木川は観光映像のデジタルマーケティング手法について。木川はその関係で大金久の海の交番事業などにも関わり、そして大きな事業、沖縄祖国復帰50周年記念映像の制作をすることとなりました。

沖縄祖国復帰50周年記念事業映像

沖縄県が日本本土に復帰したのは、1972年5月15日のことでした。与論島はもともとはユンヌと呼ばれ沖縄王朝と縁が深かった島。沖縄本島と与論島との関係は深いものがありました。与論島から見ると対岸にあるのが国頭村。その交流のことを調べ、インタビューを重ねて作ったのが次の映像です。

国頭村と与論島との関係。そして沖縄が占領された時期にも続いた関係。それを当時を知る人々の言葉でたどりました。そして、この映像の中ではそれほど触れることができていない、与論島ブームについても考えることとなりました。

与論島観光ブーム

与論島の観光ブームについては、和歌山大学にもかつて所属していて、今は立命館大学にいる神田孝治先生が詳しいです。彼の論文「与論島観光におけるイメージの変容と現地の対応」には与論島が沖縄の本土復帰までは、日本最南端の島として注目されて、1970年代に若者を中心としてブームとなったことが書かれています。そして、当時は風紀が乱れる様、沖縄の観光開発とともに沖縄へと観光客が流れていったこと、観光客が減りそれまでの産業構造が大きく変わったことが書かれています。また、コミック「東京エイティーズ」にも当時の若者たちがどのように与論島を訪れ、どのように現地で過ごしたかが描かれています。私自身も与論の人たちから数件のディスコがあったことや、海岸を歩いていると札束が落ちていたなどのまことしやかな話を聞くこともありました。

そんな与論島だからこそ、反省がありました。
ブームにのった観光開発はいつかほころびがきます。それが今、与論島が観光においても持続可能な観光を求めるゆえんがここにあるのでしょう。

与論ファクトリーとは

2019年のポルトガルの観光映像祭、ART&TURには木川だけではなく、与論町長と担当者の裾分さんの姿がありました。それは、Yoron 8Kの受賞があったからです。その時に木川は現地でART&FACTORYという企画に参加してました。観光地の魅力を伝えるために行う、旅行者による即興観光映像コンクールです。須藤カンジさんをディレクターに迎えて参加した和歌山大学チーム以外にももう1組日本から、そしてブラジルとポルトガルと4チームが参加したコンクールでした。これを与論島の観光の担当者、裾分さんが見て、日本でもやりませんか?与論島でやりませんか?という流れができました。そして、ART&FACTORY JAPANが生まれ、与論島を舞台に4組の作家を現地に派遣しました。

この4本の映像はすべて素晴らしい映像なのですが、この時にグランプリとなった映像は楠健太郎監督の「日々是与論」でした。

与論島を擬人化し、その地域に生きてきた空気のようなものを美しくポエティックな言葉で紡いでいく。

この年はコロナが拡大していた年です。初めてのファクトリーであり、私自身は本当は不安でした。オンライン開催となり、京都は清水寺を会場に開催したので、前乗りで泊まっていた京都のビジネスホテルで4本の作品を受け取りました。4本の作品を見て驚きました。素晴らしい映像でした。予想をはるかに上回る映像でした。こんなふうに与論が描かれるんだ、と自分が主催者であることを忘れてただただ感動しました。

そして、次の年、本来は青森開催でしたが、急遽の与論島開催。そこでも3本の与論ファクトリーの映像が生まれました。また、別の機会ですべての与論ファクトリーの映像を紹介したいですが、この年のグランプリ作品を紹介します。こちらは秋田在住の映像チーム、outcropの作品でした。

アウトクロップは、ドキュメンタリー映画の作家たちです。この年から作品にもドキュメンタリーテイストのものが増えてきて、その中でもこの映像は冬の与論、を見出した作品でした。

第5回の開催からは与論ファクトリーだけではなく、映像祭開催地のファクトリーも同時開催され、その中でグランプリを競うようになりました。第5回では惜しくもグランプリは開催地の滋賀県の映像が選ばれましたが、与論島の観光映像も素晴らしいものでした。こちらは前にこちらでも紹介した映像作家、伊藤広大さんの作品です。

伊藤監督の作品は、与論の人の生活に触れた作品です。観光映像祭では、人々の生活は観光資源になるのか、それが議論される場面があります。しかし、直接的に観光客に触れるものではなくても、やはりその地域の人々の生活が観光の源泉です。そこに生きる人々がいるからこそ、観光にたる何かが生まれる、それを感じることができる映像でした。

そして、2024年の3月、第6回日本国際観光映像祭では3本の新しい映像が生まれました。

第4回与論ファクトリー

第6回日本国際観光映像祭は北海道釧路市阿寒湖での開催でした。この年のファクトリーは阿寒湖を舞台とした2作品と与論島を撮った3本の合計5本の作品によるコンテストとなりました。そして、与論については第4回目。第4回与論ファクトリーでした。

時代の流れから見て、デザイナーが映像の分野に参画すること、ライターが参画すること、ドキュメンタリー作家が観光映像を撮ること、それが重視されてくるのではないか、と3組の映像チームを選びました。

私のわいたんDAYS!

一つ目は福井県のデザイナーと映像作家のチームです。この映像では福井の高校生と与論の高校生が一緒に与論をめぐる映像になっています。撮影を務めた映像作家、小川浩之さんはこれまでもJWTFFで受賞歴がある福井在住の方です。また、監督を務めた景山直恵さんは福井を代表するデザイナーで多数のGood Design賞の受賞歴のある方です。

映像の魅力は、言語化される前の感動が伝わることです。すべてが言語化されたとしても、言語化されることによって失う何かがある。この映像では女子高生がただただすごーいといっている、言葉ではそれ以上ではないのですが、映像と合わせることによって見えてくる感動が伝わるものとなっています。そしてこの映像はART&FACTORY JAPANで観客賞となりました。

予期せぬ出会い

次に紹介するのは福井を代表するライター 宮田耕輔さんが監督をつとめた映像です。宮田耕輔さんはこの3月まで、福井を代表するタウン誌の編集長を務めていた人であり、福井において福井駅前短編映画祭の実行委員会代表であり、“まちづくり”をこよなく愛しておられる方です。

また、福井県出身の片山享監督やいまや世界的な芸術家となった長坂真護さんを早くに発見され、彼らの活動を応援されてきました。日本国際観光映像祭でも審査員もお願いしており、第4回で与論島を訪れた時、非常に滞在を楽しまされていたことを思い出します。

撮影のために与論島に滞在された時の宮田さんの文章です。私としては、きっと与論の新しい世界を描いてくれるという期待を込めての作家選出だったのですが、のちにこれが彼に大きな決断を迫る旅になるとは。。。

彼の作品「予期せぬ出会い」です。

宮田さんの映像は、言語化の先にある映像です。実際に旅をする、それを卓越した“文”で表現する。宮田監督のチームは宮田さん、動画撮影、静止画撮影、の3人での旅でした。その宮田さんの旅を周りが写し、そして宮田さんの文章がそれを強く表現しています。

与論観光記

最後に紹介するのが、ドキュメンタリー映画監督、粂田剛監督の作品です。粂田剛監督はかずかずのテレビドキュメンタリーをつくってこられたベテランの映像作家であり、フィリピンに不法滞在する困窮日本人たちを撮った「なれのはて」はとても話題になりました。

粂田監督は今回一番ながく与論島に滞在されました。そして数多くの人たちに会い、その中の二人を物語の主旋律におかれました。見ていただくとわかるのですが、初めの二人の物語を見ることによって最後に映る数多くの人々の人生が色濃く想像され、心に強烈に届く映像となっています。

まとめ

JWTFF2024ではファクトリーを阿寒湖と与論で開催し、与論は日本文理大学の松原かおり先生にプロデューサーをお願いしました。彼女も文章でまとめています。

与論ファクトリーは、広告費が入るわけではないので再生回数はそれほど伸びてはいません。ただ、担当者の方もおっしゃってましたが、いいね、がつくスピードが、広告の映像とはちがって早い、ということでした。再生回数に比較すると率としていいね、がかなり多いそうです。

観光地にはキャパがあります。そして、どれぐらいの人たちが訪れてきたらちょうど良い数なのか、それを知りながら観光誘客をする必要があります。与論島には幸い、大きな空港がありません。そのため、与論島へと来れる人たちの数に限度があります。だからこそ、守られた風景があります。

決して大勢を対象としていない。しかし、大切なお客様になる人たちにはしっかりと届く映像。そのあり方を、与論ファクトリーはそのヒントになるのでは、と思っています。

最後に

しばらく与論島に行けていません。でも、今年は行きたい。そして言わなければいけないことは、私は実はヨロン島観光大使です。この文章もその職務として少し貢献できるものとなっていたら幸いです。

執筆者プロフィール

木川剛志

日本国際観光映像祭総合ディレクター
和歌山大学観光学部教授

1995 年京都工芸繊維大学造形工学科入学。在学時よりアジアの建築、特にジェフリー・バワに興味を持ち、卒業後はスリランカの設計事務所に勤務する。2002 年UCL バートレット大学院修了。2012 年に福井市出身の俳優、津田寛治を監督として起用した映画「カタラズのまちで」のプロデューサーをつとめたことから映画製作に関わるようになる。監督として2017 年に短編映画「替わり目」が第9 回商店街映画祭グランプリ、2021年にドキュメンタリー映画「Yokosuka1953」が東京ドキュメンタリー映画祭長編部門グランプリを受賞し、同作品は2022年から全国公開中。観光映像では須藤カンジを監督に起用しプロデューサーと撮影をつとめた「Sound of Centro」がART&TUR 国際観光映像祭でポルトガル観光誘客(都市)部門最優秀作品賞。2019 年より日本国際観光映像祭実行委員会代表、総合ディレクターをつとめている。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次