なぜ、日本国際観光映像祭を開催しているのでしょうか?
これは他人からではなく、私自身が私自身に日々問いかけてきた、大いなる疑問です。さまざまな方の応援、そして裏切り。そんな愛憎蠢く映像祭を開催するのは、何かの“意地”のようなものがあることは事実です。しかし、それは大学教員が、いかに大学業界の苦しさがあっても“学生たち”がいるからこそ頑張れるのと同様、映像祭も素晴らしい映像との出会いがあるから、頑張れるのです。今回はその一つを紹介したいと思います。
映像祭の意義
毎年、日本国際観光映像祭が終わると、体調を崩します。4月は大学の新年度のスタートと相まって、ほとんど仕事ができないぐらい、体調を崩します。
映像祭で疲れ果てるのです。それはおそらく、まだまだ運営の体制が整っていないことが原因でしょう。しかし、そういう事務的な疲労とは違うものかも知れません。本当はそんなつもりじゃなかったんです、国際観光映像祭をこんなふうに6回まで主催者として開催するなんて。
大学教員はスタートアップが得意分野かも知れません。企業や行政が気づいていないか、マネタイズの形が見えないから手を出せない分野、それを研究費で行い、ある程度形を見せること。それが大学の一つの仕事かも知れない。しかし、観光映像を起点としたデジタルマーケティングと、それによる地方部への誘客を本格的に進める観光DX。普通に考えれば、ここが地域のプロモーションの風上であり、源流のはずなのに。形を見せても、企業はついてきません。観光映像という風上を抑えようという国策も動かなければ、そこに商機を見出す企業もない。
確かに過去にはJWTFFに企業は参画もしてきました。しかし、そんな企業も数千万のプロジェクトで受注できたぐらいでは満足しない。右肩下がりの本業に忙しいのでしょう。そして、誰も興味を持たない映像祭は、意味のない映像祭。企業との付き合いではそう考えるしかなくなってました。
やばいやばい、愚痴になってきました。。。
とにかく、空回りしてきました。いつかこの映像祭を国や行政、もしくは企業に委ねようと思い、そのためにあるべき姿をつくるために、応募の形や上映方法も模索してきました。そして、コロナ禍。JWTFFは国際観光映像祭ネットワークCIFFTのメンバー映像祭で、メンバーになった時は14の映像祭から構成されてきましたが、コロナ禍の中、その数は10まで減りました。コロナ禍を乗り越えようと思った第3回から信用していた方の裏切りを知り(新聞報道であったようなことや、報じられていないようなこと、やらで)、大企業が簡単に個人個人の世に問いかける希望を踏み潰していく実態を知り、私自身も無垢な大学教員では無くなっていきました。
事前に何度も青森県に飛び、進めてきた映像祭の青森県弘前市での開催。新型コロナウイルスの拡大で直前の中止命令。オンラインでの開催も不可。すでに応募も多く、国際からの応募もあるなか、賞を出せないことに対する責任問題。そんなのも含めて全部キャンセルできる企業。それを助けてくれたのが与論島でした。
滋賀県大会
急遽、与論島での映像祭の開催。しかし、開催しながらも悩むのは次のこと。実はその段階で、青森県で場所を変え、弘前→八戸→青森と3回シリーズでの構想でした。だから、弘前のキャンセルはそれから3年間のキャンセルと同様。そしてそれは映像祭を木川の手元から離した開催とするという構想の白紙も意味しました。
再び、木川の手元で1からのスタート。予算もない中、開催するのかしないのか。公共からの支援を得るには、前年度の12月までに話をつけないと、予算の俎上に上がることはありません。与論島での開催は2022年の3月です。もう間に合いません。自分の力だけで映像祭を開催できるのか。
そんなとき、与論島の宿でなんとなくFacebookを見ていたら、福井時代からの友人、Sing J Royの死を知りました。彼の葬式に参加するために福井に向かい、帰り道。琵琶湖湖畔を走りながら、どうせ最後なら、自分の故郷で映像祭を開催したいな、そう思いました。それが滋賀県大会になった理由です。
そのとき、母親が倒れ入院したこともあり、ふるさと大津に帰ることが多い時期でした。自分の育った場所で飲み、歩いているとやはり自分の過去と向き合うこととなります。色々と自分自身のことを思い出してくる。そして、生まれ故郷、地元で何かをする、ということに憧れていました。それまで、福井や和歌山でイベントを企画運営し、一緒にやる福井や和歌山の人たちが自分の地元のために何かがやれていると誇っている姿。
それがうらやましかった。
滋賀県大津市、故郷での開催。しかし、それは楽な道ではありませんでした。私自身、高校から京都の高校。地元の友人という友人はいない状況でした。いろいろと紹介はしてもらえますが、やはり和歌山に住む私は、故郷から離れた人間。役所に行っても予算については誰も相談にのってくれない状況。それどころか、観光映像祭の意義も理解されない。
確かに、映像募集には公共団体の方々は大変協力していただき、滋賀県から多くの映像の応募をいただけることになった。ただ、やはり学生たちと一緒に作り上げるアマチュアの映像祭。応募者の方々はきついお叱りをいただくことも多く「そんな映像祭だったら参加できません!」「そういう企画はやめたほうがいいです」とメールが飛んでくる。
JWTFFは応募費用を一円ももらわない映像祭。その中で、身銭を切りながら、できる範囲で映像を見つけて、それを応援していく、そんな善意に対する甘えは許されないのが映像祭。一つ一つのメールに落ち込む日々が続きます。
しかし、そんなつらい時期があっても、地域の企業の応援があってファクトリー映像を滋賀県で作ることができるようになったり、地元堅田の人たちの優しさもあり、映像祭の準備は少しずつ進んでいく。和歌山から突然きた人間に対して、もちろんいろいろなことはありましたが、話し合っていけば少しずつ解決していく。
今年が最後。やりきろう。
しかし、そんな中、北海道の映像を撮り、JWTFFでも受賞された方から次の映像祭候補地として、北海道はどうだろう?という打診を受けます。
開催できるのだろうか。また、自分自身がこれ以上、耐えられるのだろうか。
北海道、その寂しさの風景
北海道での開催。
それまでも、北海道を旅することはありました。他人には言えない理由で、突発的に北海道に行ったこともあります。都市計画の研究のための予備調査で、岩見沢や江別、恵庭にも行きました。今は夏開催となっていますが、冬に開催されていた頃のゆうばりファンタスティック映画祭には3年連続で行きました。そして、私自身の中だけかも知れませんが、札幌から外にでた、郊外の街には不思議な“寂しさ”を感じるようになっていました。
近代以降に開発された町々。そして、その街の中心街にある雑居ビル。掲げられた地方の名前が並ぶスナックの看板。しかし、そこはすでに多くの人々が訪れる場所ではなくなっています。そこに積層する人々の繁栄の記憶。
その寂しさは、私にとっては魅力でした。言語化がうまくできませんが、私はそんな街を歩き、そこで今生きる人たちと一緒に飲んでみたい。
映像祭の開催の打ち合わせのために2022年12月に釧路の街へ。訪れた釧路の街は、哀愁を十分に持つ、魅力的な街でした。かつての製紙、水産、石炭、近代とともに日本が少しずつ手放していった産業で成り立ってきた街。日本の地方部の縮図のような街。映像祭をこの街とともにやりたい。
ただ、それは再び、自分の空回りのスタートのはず。
映像祭の運営、そこに届いた一つの映像
毎年、開催場所が変わり、毎年、新しい人たちと開催する映像祭。わけがわかんなくなってくる10月頃。次の年の北海道開催とその年の滋賀県開催のことを考えていました。そして、映像祭の映像募集も開始し、映像が少しずつ届いてきます。
映像祭ディレクターである木川は、映像のチェックはします。そして、応募されたカテゴリーが正しいかどうか、を確認し、審査員に審査リストを渡します。しかし、審査はしないこととなっています。私自身がいろいろな映像作家や自治体に応募を促す立場なので、その人間が審査には関わるべきではない、これは国際観光映像祭では当たり前のルールです。
ただ、映像は見ます。特に海外の主要な作品はその年の傾向を見るのに重要です。また、日本の映像については、できる限り映像作家を知りたいと思い、応募者の名前を見ながら、気になる人の作品は真っ先に見ます。そんなふうにまずはチェックする人に、Hiroki Itoさんがいます。第1回の日本国際観光映像祭にTHE SNOWFIELD: A JOURNEY INTO THE WILDという作品を応募していただき、日本部門の自然&田舎観光カテゴリーで最優秀賞を獲られました。作品タイトルのリンク先で映像が閲覧できます。冬の北海道の雪の美しさ、雪の中の風景の美しさを伝えてくれる空撮が光る映像です。私の中で、すごいドローンの映像を撮る人だ!ということで記憶に刻まれました。
私は、JWTFFでは審査員はしませんが、CIFFTの他の映像祭、ポルトガルやスペイン、クロアチアや、トルコ、南アフリカの映像祭では審査員をしてきました。今でこそ、少しずつ海外映像祭にも日本の作品を見かけるようになりましたが、5年ほど前はほとんど応募がなかったのです。そんな中、先の映像が審査する映像に出てきました。
本当にうれしかった。やっと海外映像祭にも日本からすごい映像の応募があった。そして、その映像は受賞しました。日本の観光映像が少しずつ世界に届き出した瞬間でした。
小樽、「青の街」
滋賀県大会開催に翻弄される中、応募開始後、かなり早い段階で届いた一本の映像。伊藤広大監督の「青の街」でした。北海道小樽市を紹介する観光映像。
これは観光映像なのでしょうか?そんなふうに思う方々もいることでしょう。小樽市を観光で訪れる人が行く場所をあえて外した構成。観光業に貢献するのが観光映像であれば、この映像を評価する指標は見つけることができないものなのかも知れません。しかし、この映像は小樽に住む人々の視点を私たちに見せてくれて、さらにはそこに生活する温度感も届けてくれる。この映像を見た瞬間に、思いました、「観光映像祭をやっててよかった」と。
伊藤監督の物語を運べる空撮、しかし、それにも増して、私がこれまで知らなかった伊藤監督の人々の表情を映す眼差し。大いなる自然の中で生きる、人々のドラマがそこにはある。ただただ美しく、そして広い風景に生きる人々。私たちが知る観光資源を紡ぎ出す、地域に根差した壮年の人々、漁師。それらの舞台となる優しい自然、人の営みを見てきた桜。おそらく、主旋律の一つとなる若き女学生は、この美しくも儚い風景を故郷として、旅立つ若者なのでしょう。
この映像を広く伝えたい、そして海外に紹介したい、ここに日本の地方の美しさがある。そして、自分自身がこれまで伊藤広大さんを空撮のスペシャリストとしてしか見てなかった迂闊さに後悔を覚えました。これほど、人を撮れる映像作家だったんだ、と。
それからは私の中で、滋賀県での開催から、その次の北海道での開催へと続く、一本の光の道が見えたのでした。こういう映像を見つけたい、そして北海道の寂しさの魅力を世界に届けたい。ようやく、さまざまな覚悟ができました。
そして、滋賀県大会で開催した与論ファクトリーにも伊藤広大さんに招待作家として参加していただきました。「UN, PARU, AIKYUN」という作品を撮っていただきました。
与論島のUN, PARU, AIKYUNは与論島の「うんぱる」という海も畑もしながら生活するスタイルのようです。そんなうんぱる、で生きる与論の人の生き方を見つめた映像です。与論島は空撮が盛んな地域。たいていの場所の空撮影ぞうはすでに見ているのですが、伊藤さんの映像にはこれまでに見たことのない与論の空がありました。そして、私の知らない与論の人々の生き方。与論町の担当者もこれは与論の人に見てほしい、と思わずつぶやく、そんな映像でした。
そして、今年3月に開催されたJWTFF2024。伊藤さんにとって地元となる北海道で、満を持して阿寒湖ファクトリーに参加していただくことになりました。阿寒湖に生きるアイヌ文化を紹介するという課題に対して、伊藤監督が撮った作品は、彼が得意とした撮影手法からあえて離れて撮った、挑戦的なものでした。
映像祭の開催地となった阿寒湖のアイヌコタンは、アイヌ文化を継承するステージでした。偶然、その舞台を撮影する伊藤監督の現場に立ち会うことができました。ダンサーと綿密に打ち合わせをし、動線を描き、計画的でありつつも現場で柔軟に対応をするストイックな撮影。体力の限界に挑戦した撮影でした。
完成された作品を見ると、確かにダンスシーンは舞台映像の監督としての秀逸な、そして臨場感が届く映像でした。しかし、一方で組合長の語りを軸とした後半のドキュメンタリーシーンは、被写体をその内面から読み取ろうとする寡黙な監督、ドキュメンタリー作家が導く世界でした。それらが合わさり、寒さの中に生きる強い生命の営みを感じる映像でした。
この映像を阿寒湖にのこせたこと、そしてそれを発信できたことを誇りに思います。映像祭をやっててよかった、それを思えた瞬間でした。
才能が切り拓く
伊藤広大監督は、自身を努力の人と言われます。しかし、秀逸な映像「青の街」は観光映像のあり方をさらに深めてくれた映像でした。映像の、観光の源泉には人がいる。人の人生がある。そのリアリティが届いたとき、それに気づいた時に、人は誰かを応援するのでしょう。それを教えてくれた映像でした。
観光映像の意義、それはエビデンスに基づいた数字で語るべきことなのでしょう。しかし、このような常識的真面目な計画は緩やかな停滞をつれてきます。それを超えていくのは、映像作家の才能に他ならない。
映像祭ディレクターは体調を壊す、仕事です。しかし、それ以上に、世の中の作家を見出し、その作品を世界に紹介することに大いなる意義があります。その喜びは知りながらも、本来は、このような仕事は、私のような一介の研究者が手元においておいてはいけない。それを再び考えるのでした。でも、もう少しがんばります。
伊藤広大さんのセミナー
さて、今日紹介した、小樽「青の街」の監督でもある伊藤広大さんのオンラインセミナーが玄光社 VIDEO SALON編集部の主催で行われます。このセミナーはJWTFFにこれまでもノミネートされてきた映像作家の楠健太郎さんとかも登壇されてきたものです。
●開催日時
2024年6月4日(火) 18時45分(配信開始)、19時(開演)
内容(公式サイトから)
絶景・観光・旅の映像で成功する!
地域の魅力を深く伝えるストーリーテリングの重要性
「絶景だけでは作れない! 観光映像の真価」
講師:伊藤広大
絶景と掛け合わせて地域の魅力を深く伝えられる、ストーリーテリングの重要性
この講座では地方の絶景を映像に撮り納めることを超え、それらをどのように取り込むことで効果的で魅力的な観光映像を制作活用できるのか? 特に絶景と掛け合わせることで地域の魅力を深く伝えられる、ストーリーテリングの重要性に焦点を当てます。
具体的には実際の制作事例と映像制作プロセスを紹介しながら、観光映像ならではの企画方法や撮影技術について触れていきます。加えて伊藤さんが地方を拠点に活動している背景から、地方在住クリエイターならではの効果的なアプローチ方法についても紹介します。
地方で観光映像に取り組まれている方
必見の内容です!
<視聴方法>
(1)「サブスクプラン」に加入して視聴。月額5500円〜。
(2)Peatixにて単体視聴チケットを購入して視聴。4070円〜。
※サブスク(VIDEO SALONプレミアムコンテンツ)では今後開催のウェビナーはもちろん、過去のアーカイブ50本以上を無制限にご視聴いただけます。
詳細、申し込みは以下の「絶景だけでは作れない!観光映像の真価」のボタンからリンク先へ飛んでください。
執筆者プロフィール
木川剛志
日本国際観光映像祭総合ディレクター
和歌山大学観光学部教授
1995 年京都工芸繊維大学造形工学科入学。在学時よりアジアの建築、特にジェフリー・バワに興味を持ち、卒業後はスリランカの設計事務所に勤務する。2002 年UCL バートレット大学院修了。2012 年に福井市出身の俳優、津田寛治を監督として起用した映画「カタラズのまちで」のプロデューサーをつとめたことから映画製作に関わるようになる。監督として2017 年に短編映画「替わり目」が第9 回商店街映画祭グランプリ、2020 年にドキュメンタリー「Yokosuka1953」がReykjavikVisions Film Festival 最優秀長編ドキュメンタリー映画賞、Vesuvius International Film Festivalにて最優秀ドキュメンタリー脚本賞などを受賞。観光映像では須藤カンジを監督に起用しプロデューサーと撮影をつとめた「Sound of Centro」がART&TUR 国際観光映像祭でポルトガル観光誘客(都市)部門最優秀作品賞。2019 年より日本国際観光映像祭実行委員会代表、総合ディレクターをつとめている。
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